L寄りBの本棚。

バイセクシャルだったけどだんだん男性に興味がなくなったレズビアン(L寄りB)がLGBTを題材にした小説や漫画について一丁前に語るブログ。

なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか(二村ヒトシ)

さてさて、前から買って読むと言っていた本(元の本は大昔に読んでいた)を、書店で見つけて購入しましたよ。

 

 

もちろん、この本はタイトル通り、女性向けの恋愛に関する本なのだが、じっくり読むべきはそちらではない。二村氏の「心の穴」理論にある。

 

すなわち、この本から読み解ける「心の穴」理論とは以下のようなものになる(多分)。

 

・「心の穴」は自我が固まる前に親によってあけられた。

・「心の穴」から出てくるネガティブなもの(=自己受容できなさ?=心のクセ)は劣等感・さみしさ・怒り・罪悪感であり、原因は幼いころの親との関係にある(親に味わされている

・そこで、自分の「心の穴」を知るため、とりあえず一回全部親のせいにしてみる

・「心の穴」を知ることで自己受容に近づく

 

さて、じゃあ、自己受容できるためには具体的にどうすればよいのか。本書には7つの方法が書いてある。

・感情は考えないで感じきる

・するのが「うれしい」ことだけをする

・自分の「未来」を忘れてみる(セレンディピティを意識する)

・「女らしさ」で悩まない

・セックスの時は相手の目を見る

・自分が人から感謝されていることに気づく

・愛されようとすることをやめてみる

 

とまあ、これだけ書いてみても「何のこっちゃ」という感じがするが、この人、ちょっと個人言語が多いので、結局は「本を読んでください」になるのである。

そして、この上に書いてある内容については、元になった『恋とセックスで幸せになる秘密』にも書いてあった。

 

で、今回、文庫化するにあたって、第10章と、信田さよ子との特別対談、「文庫版のためのあとがき」が加えられているのだが・・・第9章までを読んだ後に第10章以降、特に信田さよ子との対談を読むとずっこける仕組みになっている。

というのも、二村は本文で、「女性であっても男性であっても、男らしくしたかったら男らしくすればいいし、女らしくしたかったら女らしくすればいい」などと言っているのであるが、信田氏との対談では、

<女性の中には、菩薩とか母性じゃないけど、「ゆるぎないもの」があるような気がしていて・・・・・・。>

などと発言し、信田氏に、「(女性を)美化じゃないですよ、バカにしてるんですよ。」だなんて怒られているのである。面白過ぎる。女性へのステレオタイプな理想を持つことを正直に告白する二村氏と、それを叱る信田氏。これ、本文の内容をブチコワシにしてないかちょっと心配なんだけど、まあ信田さよ子のほうが「強い」ということで、一つ。

 

そして、信田氏が二村氏の「理想の女性像」について怒ってみたところで、本文の内容の価値が失われるわけではない。個人言語的なものが多くて読後感がフワフワしているような気もするが、メモを取りながら読むと案外理解できる。ぜひ。

すべてはモテるためである(二村ヒトシ)

一つ謝罪がある。二村ヒトシが初めて「心の穴」について詳しく書いたのは、実は彼の二作目の本、『恋とセックスで幸せになる秘密』なのだが、これの増補版(かつ文庫版)が『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』であった。本棚を探したら、『すべてはモテるためである』と『恋とセックスで幸せになる秘密』とが出てきて、「あれ?手持ちの本とタイトルが違うぞ?」と思って調べたら分かった。私の手持ちは古い方の、『恋とセックスで幸せになる秘密』である。なので、これから読む人は『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を読んだ方がいい。私も多分買う。

 

で、やっぱり二村ヒトシといえばこの本でしょう!ということで、まずは何年かぶりに『すべてはモテるためである』を読んでみた。最初に刊行されたのが1998年、その後2002年に『モテるための哲学』というタイトルで文庫化され、さらに大幅に加筆修正されて文庫化されたのがこちらである。

 

 

ね、タイトルとイラストから見たら、「何だ、モテない男性のためのハウツー本か?」と思うけど、実は全くそうじゃない。なんせ、あの上野千鶴子(!)が解説で、<だって、この本読んでも「モテる」ようになったりしないもん。>と太鼓判を押しているくらいだからである。

じゃあ、何のためにこの本があるのか。とりあえず、モテない原因について書かれている。のっけからでかでかと「なぜモテないかというと、それは、あなたがキモチワルイからでしょう。」と書いてある。その「キモチワルイ」の種類とか原因とか、克服方法とかを延々と書いてあるのが本書である。

結構文章がくどくて、かつ色々と読者に考えさせるスタイルになっているので、正直「こんなのだるくて読めないよ!」という人もいるかもしれないが、そこは我慢、我慢。約25年前に話題になって、今も内容は新鮮なままである。読み進めているうちにモテはしなくても、女性にとって「キモチワルくない人」にはなれるかもしれない。

 

女性にとって「キモチワルくない人」になれるのであれば、男性のみならずLやBの女性も読むべき本ではないかと思う。特にタチさんね。だって女子にキモいと思われたら嫌でしょう? 私がこの本を読んだ動機も、「何か昔話題になってたから」というだけではなく、「女子にモテたらなあ・・・・・・」という淡い期待が混ざっていたことは否定しない。まあ、読んだとて(上野千鶴子の言う通り)モテていないのだけれど。

 

ちなみに、この文庫版に関しては第5章も比較的重要で、1998年に出された元の本の後日談のようになっている。筆者がモテた後に、結局、モテたいのではなく、愛されたかったのだ、と悟るのである。そうだよね、人生の最終目標は、モテることではなく愛されることだよね。

 

なお、この本の後ろのほうに、哲学者の國分功一郎との対談が載っていて、その中に多少「心の穴」について触れられている部分があるので、そちらを読んでから『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を読んでもいいんじゃないかなあと思った。

では、今日はここまで。

自分を好きになりたい。―自己肯定感を上げるためにやってみたこと(わたなべぽん)

今日のタイトルは、私が何かしたということではなく、そういう漫画のタイトルなので注意。

 

 

これ、前の記事で自己肯定感を上げるのに良い本はないかと書いて、自分で探した結果出てきた漫画なのである。毒親育ちの人が、どうやって自己肯定感を上げていったか、という記録のような作品である。

もっとも、何か具体的にワークがたくさん挙げられているわけではない。あくまでも著者の体験談ということになる。それでも、「毒親育ちがいかにして自分を好きになるか、自己肯定感を上げるにはどうしたらよいか」ということのヒントにはなる。そういう意味では良い本であった。ヒントを得て、これからどうしていくか自分で模索したい人向けである。

 

一つ先にお知らせしたほうがいいと思うのは、この漫画には、著者が意識しているかどうかは不明だが「インナーチャイルド」が出てくる。インナーチャイルドとは書いていなくて、「子供の頃の私」と記載されているが、まあ同じものであろう。

なので、「ほらきた、インナーチャイルド理論! 胡散臭い~。」と思う人は読まない方がいい。

 

ここで、インナーチャイルド理論についてちょっと説明しなければならないだろう。インナーチャイルドとは、直訳すると「内なる子供」で、幼少期に受けた心の傷が癒されないまま成長すると、この「内なる子供」が心に大きな歪みをもたらす、というような理論である。正直なところ、何か学問的に認められた概念ではなく、スピリチュアル界隈(出た~!)なんかでよく取り上げられるものだ。「インナーチャイルドを癒すセミナー」みたいな。

 

と、いうのを読むと、「やっぱりあてにならないじゃないか!」と思われるだろうが、もう少し辛抱してほしい。とかく出所が胡散臭いために、「インナーチャイルド いない」なんかで検索すると、「インナーチャイルドなんかいません」「高額セミナーに騙されないで」みたいな記事がいくつか出てくるのだが、そうだろうか? 

 

というのも、人の内心は自由だからである。いる人はいるし、いない人はいない。それでいいのではないだろうか。肝心なのは、特定の人物に傾倒しすぎて変なセミナーにお金をじゃぶじゃぶつぎ込まないことであって、もしそのような概念で救われる人がいるのであれば、(科学的には認められていないとしても)いる人にはいる、ということにしてしまって良いのではないだろうか。

 

ここまでくると、宗教を信じる、信じないという話と似通ってくる。神様はいる人にとってはいるし、いない人にとってはいない。それと同じことである。私の内心には、神様(新興宗教ではなく神社などにおわす八百万の神々)もいるし、インナーチャイルドセミナーなんか受けずに自分で適当に本を読んで呼び出したやつ)もいる。ただ、特定の人物・団体に高額のお布施はしない。それでいいんじゃないかなあ。

 

と、前置きが長くなってしまったが、この漫画、ジャズの先生(著者が習いに行っている)の「自分で自分をいじめてるの」という言葉にもグサッとくるし、ところどころに挟まれている「実は・・・自分が嫌いなんですあるある」も自分に当てはまる点が多くて驚いてしまう。この「あるある」はチェックリストに使えるのではないかと思うレベルである。

絵がのほほんとしてかわいらしいので気を抜いた状態で読んでしまいそうであるが、内容は割とヘビーなので、ちょっと気を引き締めて読むように。

 

 

 

 

 

 

毒親本との出会い、そしてこれからの「解毒」。

どうもセクマイ界隈には毒親持ちが多いようだ。かく言う私も、学生時代から何となく母親に違和感(例:母親から電話がかかってくると辛くなる、実家に帰ると体調を崩す)があったのだが、どうもその違和感の正体をうまく掴めないままアラサーになり、そして30歳ころに何となく購入した本ですべてが分かったような気がした。それが、信田さよ子の『母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き』(春秋社)である。

 

 

この本は2008年4月に発売されており、世の中に「毒親」とか「毒母」とかいう概念が広く知られる前に書かれている。したがって、本の中に「毒母」なんていう言葉は出てこない。しかし、私はこの本を読んで、「これだ!」と覚醒したのである。母と娘の共依存。そこからくる娘の苦しみ。

 

それからしばらくして、ネットで色々検索して毒親本(と巷間呼ばれているもの)を何冊か読んだ。多分、一番有名なのは、スーザン・フォワードの『毒になる親』だろう。彼女は『毒親』の名付け親である。信田氏の著作よりもっと古い。チェックリストなんかもついていて非常に親切。もし、これから毒親本を読みたいという人はこちらから読んだ方がいいんじゃないかと思う。

 

 

ただ、この本でどうしても引っかかるのが、毒親との「対決」である。もしかしたら、この本や類書に毒親との「対決」が必要だと感じて「対決」しちゃった人もいるかもしれない。試しに、「毒親 対決」でTwitterで検索したら、対決した(ないしこれからする)というつぶやきがたくさん出てくる。みんなすごいなあ。

 

しかし思うに、そもそもそうやって「対決」して一定の成果が得られるような人格ならば毒親にはならないわけで。話ができるような人間じゃないからこそ毒親なんだよね。ちがうかなあ? 

 

ちなみに自分は結果的に対決などという面倒くさい(そして非常にエネルギーを使う)方法は一切取らなかった。もう、物理的に距離を置いて親のことは忘れる、それだけ。モラハラの人への対処法と同じ。ただただ逃げる。そして他のことをして忘れる。連絡は一切取らない。それで私はずいぶん気持ちが楽になった(そしていつの間にやら母は亡くなってしまった)。

 

ただ、そうしているうちに、一つのことに思い当たった。例えばモラハラの友人や恋人は一過性の人間関係でしかないけれど、母親は自分を赤ちゃんのころから育てているわけだから、自分の性格や心理的傾向に多大な影響を及ぼしているはずなんだよね。そこが友人や恋人との大きな違い。そういわれてみれば、毒親育ちは自己肯定感が低かったり、自らも(毒親と同じように)モラハラ傾向があったりしないかな? それって結局(ネット用語を借りるならば)「解毒」できていない、ってことなんだよね。

 

「対決」したからといって「解毒」できるわけではなさそうだけど、毒親の存在を忘れたからといってやっぱり「解毒」できるわけでもない。そうすると、毒親育ちである我々には、「自己肯定感の高め方」とかそういった別の処方箋が必要になるんだろうね。

むろん、自己肯定感を高めるための書籍も今たくさん出ているけれど・・・・・・まだあまり読めていないし、ちらっと見てもピンとこないんだよね。いい本ないかなあ。これを読んだ方、あったら是非教えてください。

【L漫】愛されてもいいんだよ (天野しゅにんた)

前の話の続きになるけど、どうも個人的にはTwitter上で「つくたべ」に関してプラス評価しか許されない、みたいな雰囲気がちょっと・・・・・でして。

いや、私もマイナス面を誇張しようという気はさらさらなくて、「好きな人は好きでよろしいんじゃないですか」と思う。そして何度も言うけど、春日さんのキャラについては非常に魅力的。今後私はそれだけのために読む。

 

それはさておき、天野しゅにんた先生の「愛されてもいいんだよ」も、私がブログをさぼっている間である今年の3月に完結(第4巻発売)しておりました。2020年からお疲れ様でした。

 

 

この作品は、とあるビアン風俗店の創業者の取材協力を得てできたもの(表紙に、「取材協力/御坊」との記載がある)で、したがって店の利用ルールとか、キャスト間のご法度とか、そういうことについては非常にリアリズムに溢れている。

 

なんだけど、主人公の設定が「ほんまかいな?」である。何せ、女性同士の性交渉が初めての女性が、ひょんなことからビアン風俗を利用することになり、それをきっかけにビアン風俗のキャストになるというところからスタートしているからである。え、そんなことってある?

 

漫画だからご都合主義で良いのだ、という考え方もあるのだけれど、その経緯でキャストになって、徐々に売れっ子キャストになっていく展開、そして色んな客に希望を与える・・・・・そんな順風満帆なことでいいんですかねえ。もう一波乱欲しかったですねえ。

 

あと、まだ読んでいない人に対してネタバレになってしまうので細かくは書けないのだけど、ラストがどうもビアン風俗のキャストと客との恋愛に肯定的であるかのように読める。それって、業界的にはよろしくないんじゃないですかねえ。途中にそれは良くないというエピソードも挟まっているのでいいのかな? まあ、いいことにするか(雑)。

 

そんなこんなで突っ込みどころは多々あるものの、作品としてはうまくまとまっているような気はする。キーワードは「心の穴」。

 

ちなみに、「心の穴」という言葉には既視感があったのだけど、これって二村ヒトシの『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』で出てくる概念だよね? 心の穴。天野先生、この本読んだのかな? 自己受容とその難しさ。二村ヒトシのこの本に関してはかなり面白いのでおすすめである。

 

 

と、何だかだんだん『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』のほうに話がシフトして長くなりそうなのでこの辺で止めておこうと思う。ビアン風俗の話だけど、別にエロいわけではないので、そういうのを求めている人には不向き。それだけは念のためにお伝えしておく。