L寄りBの本棚。

バイセクシャルだったけどだんだん男性に興味がなくなったレズビアン(L寄りB)がLGBTを題材にした小説や漫画について一丁前に語るブログ。

毒親本との出会い、そしてこれからの「解毒」。

どうもセクマイ界隈には毒親持ちが多いようだ。かく言う私も、学生時代から何となく母親に違和感(例:母親から電話がかかってくると辛くなる、実家に帰ると体調を崩す)があったのだが、どうもその違和感の正体をうまく掴めないままアラサーになり、そして30歳ころに何となく購入した本ですべてが分かったような気がした。それが、信田さよ子の『母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き』(春秋社)である。

 

 

この本は2008年4月に発売されており、世の中に「毒親」とか「毒母」とかいう概念が広く知られる前に書かれている。したがって、本の中に「毒母」なんていう言葉は出てこない。しかし、私はこの本を読んで、「これだ!」と覚醒したのである。母と娘の共依存。そこからくる娘の苦しみ。

 

それからしばらくして、ネットで色々検索して毒親本(と巷間呼ばれているもの)を何冊か読んだ。多分、一番有名なのは、スーザン・フォワードの『毒になる親』だろう。彼女は『毒親』の名付け親である。信田氏の著作よりもっと古い。チェックリストなんかもついていて非常に親切。もし、これから毒親本を読みたいという人はこちらから読んだ方がいいんじゃないかと思う。

 

 

ただ、この本でどうしても引っかかるのが、毒親との「対決」である。もしかしたら、この本や類書に毒親との「対決」が必要だと感じて「対決」しちゃった人もいるかもしれない。試しに、「毒親 対決」でTwitterで検索したら、対決した(ないしこれからする)というつぶやきがたくさん出てくる。みんなすごいなあ。

 

しかし思うに、そもそもそうやって「対決」して一定の成果が得られるような人格ならば毒親にはならないわけで。話ができるような人間じゃないからこそ毒親なんだよね。ちがうかなあ? 

 

ちなみに自分は結果的に対決などという面倒くさい(そして非常にエネルギーを使う)方法は一切取らなかった。もう、物理的に距離を置いて親のことは忘れる、それだけ。モラハラの人への対処法と同じ。ただただ逃げる。そして他のことをして忘れる。連絡は一切取らない。それで私はずいぶん気持ちが楽になった(そしていつの間にやら母は亡くなってしまった)。

 

ただ、そうしているうちに、一つのことに思い当たった。例えばモラハラの友人や恋人は一過性の人間関係でしかないけれど、母親は自分を赤ちゃんのころから育てているわけだから、自分の性格や心理的傾向に多大な影響を及ぼしているはずなんだよね。そこが友人や恋人との大きな違い。そういわれてみれば、毒親育ちは自己肯定感が低かったり、自らも(毒親と同じように)モラハラ傾向があったりしないかな? それって結局(ネット用語を借りるならば)「解毒」できていない、ってことなんだよね。

 

「対決」したからといって「解毒」できるわけではなさそうだけど、毒親の存在を忘れたからといってやっぱり「解毒」できるわけでもない。そうすると、毒親育ちである我々には、「自己肯定感の高め方」とかそういった別の処方箋が必要になるんだろうね。

むろん、自己肯定感を高めるための書籍も今たくさん出ているけれど・・・・・・まだあまり読めていないし、ちらっと見てもピンとこないんだよね。いい本ないかなあ。これを読んだ方、あったら是非教えてください。