L寄りBの本棚。

バイセクシャルだったけどだんだん男性に興味がなくなったレズビアン(L寄りB)がLGBTを題材にした小説や漫画について一丁前に語るブログ。

【L漫】作りたい女と食べたい女⑵(ゆざきさかおみ)

私がこのブログをしばらく放置している間、昨年の12月に『作りたい女と食べたい女』、略称つくたべの第2巻が発売された。コミックウォーカーのほうではすでに27話まで配信されているので、近いうちに第3巻が発売されるのではないかと思われる。

 

と、いう時期になって今更私が何か書かなくてもいいのではないかという気もするが、改めて第1巻と第2巻、後は今コミックウォーカーで読める26話と27話を読み直してちょっと感想を。

 

この漫画、教育的というか、啓蒙的というか。悪く言えば、「世の中にはこういう人間もいるんだからよく理解して配慮しなければいけない!」という匂いがプンプンするのだ。

というのも、第3巻に収録されるはずであるが、メインの野本さんと春日さん以外に、アセクシャルの矢子さんと会食恐怖の南雲さんが出てきて、読者はこの二人に対する理解まで求められる(ような気持ちになる)のである。まあ、アセクシャルというのも、私みたいにTwitterでセクマイ垢をやっている人間であれば時々出くわすので、驚くようなことではない。が、これはあくまでもエンターテイメントのはずである。教育漫画ではない。どうして一般の読者がアセクシャルについて学ぶ必要があるのか。

会食恐怖に至っては、もうセクシャルマイノリティーなんか関係ない。そもそも、会食恐怖の人は、みんながカレー食べてる中でラッシーを飲んでて(27話)、それでくつろげるのかという疑問もある。

実家の父親の戻ってこいという命令に春日さんが従わないシーンも出てきて(26話)、「あら、今度は毒親問題ですか?」とちょっとうんざりしてくる。

 

要するに、啓蒙的なうえに問題を詰め込み過ぎなのだ。著者は「世の中にはこういう人もいる、こういう人もいる。だからよく理解して配慮なさい!」という教育漫画が描きたかったのだろうか?

 

確かに、実際にアセクシャルの人や、会食恐怖の人、実家との関係が良くない人もいて、そのような人が読めば救われる、という側面はあるのかもしれない。が、エンターテイメントとしてはどうなのですかね。私は矢子さんが出てきたあたりから純粋には楽しめなくなってきて、どうも学校の視聴覚室なんかでスライドを見せられている気分になってしまうのだった。

 

作りたい野本さんと、食べたい春日さんの、その関係性だけじゃいけなかったのかなあ。この女性二人の関係性に関してはすごく面白いと思っただけに、教育漫画化してしまっているのは残念だなあ。

 

ただ、やっぱり自分としては、野本さんと春日さんがどうなってしまうのか、気になるのでこのまま読み進める所存である。作品に漂う教育臭・啓蒙臭は、脳内で無理やりデオドラントしてやる。その程度には春日さんは魅力的である。