L寄りBの本棚。

バイセクシャルだったけどだんだん男性に興味がなくなったレズビアン(L寄りB)がLGBTを題材にした小説や漫画について一丁前に語るブログ。

【ちょっと愚痴】なんで『花物語』が支持されたのか。

4日間、吉屋信子大先生の『花物語』をちょっとずつ読み続けて分かったこと、それは「私には読みにくい!」でした。なんじゃそりゃ、と言われるかもしれないけど、無駄に一文が長くて過剰気味な装飾、だんだん脳が拒否反応を起こすわけです。同じ過剰装飾文体でも、森茉莉(こっちは元祖BLと呼ばれている)までいくとかえって面白いのになあ。

ちなみに、私がなんで『花物語』を読んでブログを書いているかというと、ネット上を見ても全巻読み込んで分析しているような人は少ないようなので、「よっしゃ私が全巻読んで何か得るものがあれば!」という気分で始めたのですが…得るもの、あまりなさそうです。なんか吉屋信子処女厨っぽいのだけはよく分かりました。

 

で、なんでこの『花物語』が当時の女子に人気だったのか考えるに、ファンタジーと現実がうまく組み合わさっていたのではないかと。ファンタジーとは、女性が欲望の客体ではなく主体になること(おっと、なんか社会学者みたいなこと書いちゃった)。選ばれる側から選ぶ側になれるということですね。そして、もし選ぶなら可愛くないヤローではなく、綺麗で可愛い女子がよろしいと。うん、分かります。

一方、現実とは、病気や死、家庭の事情、結婚ですね。これらによって、少女の夢(ファンタジー)は簡単にぶち壊されてしまいます。『花物語』の中でも、これら現実によって引き離された少女たちの話がいっぱい扱われています。

このふたつが当時の女子たちの共感を得たんでしょうね。月並みな分析でごめんなさい。

 

しかし、今はどうかというと、女性が欲望の客体たる地位を完全に脱却できているとはいいがたいながらも、徐々に脱却しつつあります。女性も選ぶ側になって、例えば貧乏で顔がよろしくない男子はなかなか結婚できません。農家の息子の結婚問題なんかかなり深刻です。

また、現実のほうも、医療の発達によって人が簡単には死ななくなったし、家庭の事情で離れ離れなんてことはSNSなんかで解消できます。結婚に至っては女性本人の自由です。

というわけで、今の女性が『花物語』を読んだところで共感できる点が少なくなってしまった。しかも、簡潔な文章がよしとされる今の時代です。あのくどい文章は受けないでしょう、やっぱり。

 

ということで、結局『花物語』は当時の流行商品という位置づけから逃れられず、後世に伝えられるかというと微妙だというのが私の実感です。でもまあ、始めたことだから、最後まで読むぞ。